当会は創立70周年を迎えた横浜市立大学山岳部のOB、OGによる親睦団体です。

活動記録chronicle

2010年

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八ヶ岳春山合宿

【隊員紹介】
■学生
 藤岡  峻【横浜市立大学山岳部4年】
 長岡瑠理子【横浜市立大学山岳部3年】
 大宮茉莉紗【横浜市立大学山岳部1年】
■OB
 菅波  貴史【横浜国立大学山岳部OB】
 吉田  宣明【横浜市立大学山岳部OB】
■留守本部
 松崎  剛史【横浜市立大学山岳部2年】

【行動記録】
3月20日:夜 小田原発→八ヶ岳山荘 (幕営)
3月21日:8:40:出発
 9:30 美濃戸山荘着 レスト
 9:40 出発
 10:30 レスト
 10:35 出発
 11:30 赤岳鉱泉着 天幕設営
 14:00-15:30  ジョウゴ沢と赤岳鉱泉にて雪訓  幕営
3月22日:6:30 出発
 7:30 レスト
 7:35 出発
 8:20 硫黄岳頂上着
 8:30 頂上出発
 10:30 赤岳鉱泉着 途中グリセードと滑落停止訓練
 11:30 赤岳鉱泉発
 12:30 赤岳山荘着 レスト
 12:40 出発
 13:30 八ヶ岳山荘着

【八ヶ岳春山合宿報告書】
 今回の八ヶ岳で記憶に残っているのは、爆裂火口と、下山時の転倒と、吉田さんが川に落ちそうになっていたことだ。
 2回目の雪山合宿は、雨から始まった。
 テントが床上浸水して、菅波さんの寝袋も浸水して、私の寝袋がしっとりとして朝を迎えた。全員の心がブルーになり、「現役の判断に任せる」と言われ、長時間悩んでいると、雨が雹に変わったので、登山開始。
 下山部の私にとっては、到着地点が目視できるまでの登りは苦痛であり、いける所まで車で行きたいと常々思っている。当然計画書には赤岳山荘まで車で行くと書いたが、轍が深すぎて車では行けないとのことで、八ヶ岳山荘から歩くことのこと。。。心の骨が若干折れた音がした。。。
 地面が凍っていて歩きづらかったけれど、橋が多い北沢は、南沢より面白かった気がする。前回の雪山より暖かかったのも救いだ。
 赤岳鉱泉に着いて、すぐにテントを張る。山岳部の経験知の差で、トイレにも近くて、風があまり来ないところに天場を作ることに成功!その後、私達のテントの周りに無数のテントが建つ。ちょっといい気分だ。
 テントに入って、湿気と戦いつつスープを食べた(このスープの為だけに、生卵を持って行った)。湿気で菅波さんのヤッケがシミテックスになっている。
 スープを食べ終わり、このまま計画書通りに硫黄岳に行くかどうかの話しが出た。時間も遅いし、山頂はガスに覆われている・・・・・・
 よし、ジョウゴ沢で遊ぼう!(結局、沢が凍っていなかったので、その横で氷を登った) 楽しかった!!!
 テントに戻って、爆裂火口拳について熱く語ったあと、夜はカレーを食べて就寝。なかなか寝付けず、一度起きて時計を見たら、まだ11:45・・・横ですやすや寝ている長岡先輩をみてイラっとする。。。そして暑かった・・・テントシューズ必要なかった。。。幸せな境遇ながら、残念な夜でした。藤岡先輩は寒くて眠れなかったそうな。

 翌日。5:50にたたき起こされる。ぬくぬくしていたのに。
 稜線に出た途端、風がすごい。一瞬で冷えた。でも、天気が良くて楽しい。

 

 頂上!!さらに強風。念願の爆裂火口を恐る恐る覗く。ステキだった。
 10分で頂上から脱出し、少し下ったところで念願のグリセードと、滑落停止訓練をした。適度な斜度だったので、怖い思いは全然せず、調子に乗って立ちセードもした。あと尻セードも。指導してくださった吉田さん、菅波さん、ありがとうございました。とっても面白かったです。



 そして下山。下山部部長の大宮としては、本領発揮。と言いたいところだが、地面がカチコチに凍っていて、2度ほど大転倒した。
 そうこうしているうちにOBさんたちが遠くなっていく。悔しいので、雪の無い森の中をガサガサ走ってゆく。車がある八ヶ岳山荘には一番に着いた。よかったよかった。
 より迅速な下山のためには、氷の対策も必要ということがわかった。

 今回の八ヶ岳は、前回の富士山と比べると楽しい場面が多かった。また是非行きたいと思う。
 指導してくださった吉田さん、菅波さん、ありがとうございました。
 お世話になりました。
                                        大宮茉莉紗(山岳部1年)

【OBコメント 】
 八ヶ岳では深夜に美濃戸口についてテントを張っていたら土砂降りになり、吉田以外のメンバーの装備がびしょ濡れで一気にやる気がなくなりました。
 OBだけなら『温泉にでも入って帰ろう!』となったのですが、なんといっても『合宿』ですのでおいそれとは引き下がれず、一泊二日の短い山旅に行ってきました。
 今回はアイゼン・ピッケル初体験の藤岡君を連れていたので、無理をせず硫黄岳往復だけで帰ってきました。

                                    吉田宣明(山岳部OB/1986年卒)

2010年3月


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富士山雪上訓練合宿報告書 -1

【隊員紹介】
■リーダー
 野田  修司【神奈川大学山岳部コーチ】
■メンバー
 菅波  貴史【横浜国立大学山岳部OB】
 塚     【東海大学OB】
 長岡瑠理子 【横浜市立大学山岳部3年】
 大宮茉莉紗 【横浜市立大学山岳部1年】
 吉田  宣明【横浜市立大学山岳部OB】
■留守本部
 藤岡  峻 【横浜市立大学山岳部4年】

  女の子の赤ヤッケが大宮嬢(19歳1年生:両親は横浜山岳会:お父さんから前日に電話で指導?を受けてしまいました。55歳らしいです。純さんあたりが知っているかもしれません)。上記写真で人物説明しますと、左から神大OB野田(オレンジ)、大宮嬢(赤)、東海大OB塚(青)、長岡嬢(青)、国大OB菅波(黄色)です。  

  基本的に吉田はカメラマンに徹しておりまして、テント生活から雪上訓練、冬山の楽しみについてのレクチャーまで、全て他の3人のOBが手取り足取り非常に親切に教えてくれました(防寒装備もお嬢達に貸してくれました)。
 3月の20〜22日に八ヶ岳に行く予定を話したら、他の3名も付き合ってくれることになりました(吉田が無理やり言わせた、とのご批判もありますが・・・)。
                                          吉田宣明(山岳部OB)

【行動記録】
2月5日 深夜 馬返し集合
2月6日 7:55 出発
 8:10 1合目 レスト
 8:25 出発
 9:00 2合目 レスト
 9:10 出発
 9:40 3合目 レスト
 9:50 出発
 10:30 4合目 レスト
 11:45 5合目着 幕営

2月7日 6:30 起床
 7:50 雪上訓練開始
 11:40 雪上訓練終了
 12:35 撤収、出発
 13:55 馬返し着


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富士山雪上訓練合宿報告書-2

 夜中集合、歩きだしてそのまま雪上訓練開始というスパルタコースのはずが、集合が遅れて駐車場で幕営。『いざという時はやる!あとはゆるゆるで』という合宿らしい。
 2時間ほどの仮眠の後出発。二日酔いの野田さんの姿が消えて、捜索隊が派遣されたり…。1合目、2合目とこまめにレスト。4合目なのに堂々と小屋に5合目と書かれていてだまされた。佐藤小屋到着直前、塚さんラッセルで急斜面を登る。雪山っぽい!!佐藤小屋は無人でした…。
 5合目の時点で風が強い。丁度風が通らない場所を見つけてテントを張っていてさすがだなあと思った。雪上訓練は翌日になる。あまり早く寝てしまうと夜中に目覚めて寒さで寝られないという悲劇が起こると言われ、睡魔と闘う。大宮がガタガタ震えている。全身ほぼ
新品のせいか、どこも濡れていないし、あまり寒さは感じなかった。となりの菅波さんはスパッツを着けていなかった上、靴下に穴が空いていた。県岳連の人たちの話を聞く。会う前から色々な情報が頭に植えつけられていく。野田さんのザックは四次元ザックだった(はい!ゾンデ棒〜!)。
 探検部の常識(道具の扱いなど)は、山岳部の非常識という話が出た。まさしく、私は(大学入るまでキャンプもしたことがなかったので余計)当然のことと教えられてきたことの中に、とんでもない非常識が転がっているのではないかという不安を持っている。基礎の基礎からお世話になります。
 ザックを下に敷いて寝たおかげで前夜よりも暖かく寝られた。それにしても富士山の夜にしては寒くなかったとのこと。とうとう雪上訓練開始。菅波さんの『勝負靴下(普通の靴下)』登場。フル装備でテントを出る。アイゼンはテントを傷つけないよう少し離れたところで装着。まずアイゼン歩行はガニ股で、耐風姿勢は三角形。キックステップがなかなか出来ず、どんどん埋もれていく…そして大宮がずんずん進んでいく…。下るときは重心に気をつけて。滑落停止。確保では片手でインクノットができるようになりましょう…。ひとつひとつ丁寧に教えて頂きました。さらにオーバー手袋やらピッケルやらアイゼンやら色々お借りしました。ありがとうございました。
 テントに戻って一息つこうとしていたところ、吉田さんに急かされ下山。下山は早い!ハイテンションの大宮の姿があっという間に見えなくなる。駐車場で雪との別れを惜しんだ後、吉田うどんを食べて帰りました。

【反省】
 集合前に浅間神社で迷子になった。水は汲んでこよう。次はテルモスにあったか〜いミルクティーを入れてくる!アイゼンの調節が不十分だった!大変ご迷惑をおかけしました。今回の寒さは大丈夫だったけれど、防寒具が少なかった。5合目での朝、水を凍らせてしまっていた…。
 吉田さん、野田さん、菅波さん、塚さん本当にお世話になりました。ありがとうございました!色々なものを
貸して頂いた上、朝ごはんも頂いてしまった(社会人はすごい!)。
 とっても楽しい初富士山!雪山!でした!!
 どうぞ八ヶ岳もよろしくお願いします。
 今回の反省を踏まえて、もっと入念に準備をしたいと思います。
                                         長岡瑠理子(山岳部3年)

富士山雪上訓練合宿報告書-3

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 人生初の雪上訓練。全てが生まれて初めて。
 もっと山を歩く技術をつけたいと思った。
 特に登り。ゆっくり、こつこつと歩くことがとっても苦手なことがよーくわかった。
 硫黄に行くまでに練習します。

 初めての富士登山は、じゃんけんで負けて、ザイル(ちなみに現地で一回も使わなかった)をザックの一番下に入れたところから始まり、登山開始から2合目あたりまで、ザックの重さに身体がなれず、腰の痛みと一緒に登った。でも、その後は大丈夫だったな。
 5合目にやっと着いたと思ったら、冷たい風が吹き付けてきて、一瞬で身体が冷えて驚いた。テント設営も身体が冷たくなって辛かった…。テント内に入っても体中の震えが止まらないし、何も話したくなくて、とりあえず震えていた。なのに、長岡先輩はケロッとしてて、全然寒そうじゃない。 何なんだこの差は。
 寝ているときも、他の人もぐっすり寝ているのに、私だけ寒さと戦っていた。とりあえず、次回はテントシューズを持っていこう。貸して頂いた皆さん、有り難うございました。帰って家族に報告したら、テントシューズは家にあるとの事。次回は持って行きます・・・。あと、OBさん全員にホッカイロを鉄の塊だと馬鹿にされたけど、あれは重要でした。次も持っていこうかな…。

 雪上訓練は待ち時間が寒かったけれど、楽しかったです。特に滑落停止が楽しかった。丁寧なご指導有り難うございました。でも、本当に滑落した時に、とっさに滑落停止できるか正直心配です。がんばります。
 あと、もしまた雪上訓練ができるのなら、グリセードやりたいです。それと、頭から滑ったときの滑落停止も。
 毎回山に行くたびに思うのだが、登り始めの1時間半位は、「何で山に登るのだろう。辛い!もう嫌だ!」 で頭がいっぱいになるのに、時間がたつにつれて楽しくてしょうがなくなる。あと、私の場合、山は下りるために登る気がした。帰りは楽しくてしょうがない。菅波さん曰く、これは下山パワーなのだそうだ。私の下山パワーは凄い。ちょうどゴールで体力を使い切るように調整されている。自分でもメカニズムはわからないけど、気に入っている。

 吉田さん、菅波さん、野田さん、塚さん、今回の雪上訓練では大変お世話になりました。
 次回の硫黄までに、少しレベルアップを試みます。
                                         大宮茉莉紗(山岳部1年)

2010年2月

2007年

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石尊稜〜阿弥陀岳南稜

 八ヶ岳行ってきました。ルートは、赤岳鉱泉〜石尊稜〜赤岳〜阿弥陀南稜を、テクテクと・・・
 美濃戸口では、半袖でも十分な気候のため、冬山装備は間違っていたのか?と一瞬思いましたが、山はまだまだ雪がいっぱいありました! 石尊稜は雪がクラストしていて、すいすいと登れましたが、稜線出たらもの凄い風で、最悪でした。
 阿弥陀南稜は一部岩がありましたが、普通に下山できたものの、あまりルートを把握せず降りた為、途中沢づたいになってしまい、最悪。かつ、良くわからない別荘地に突き当たり・・・
 ま、なんとか美濃戸口に戻ることが出来ました。よかったよかった。
テントはツエルトとテントのあいのこみたいのを、大人買いしてもっていきましたが、降雪には耐えれず、夜中につぶれかけてしまいました・・・中途半端はよくないっす。
 これにめげず、ぼちぼち登山を続けていく所存です。また、山日記を書きます。では

                                      佐藤明(山岳部OB/2001年卒)

1957年

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一ノ倉沢二ノ沢右俣

 今はアルピニストの気概などほとんどなくなってしまった。歳のせいだろうか。岩にも冬山にも登れない。せいぜいロープウェーを使って安易に行けるような雪の山へ登るのがやっとだ。それだからといって昔はといっても大した経験があるわけではない。したがって今までに恐怖を体験したことはあまりないがこれだけは今でも思い出したくない、という山行がひとつだけある。
 それは大学時代先輩山田氏と一ノ倉沢に入った時で、つまってもうおしまいだ、落ちて死ぬかと思ったがなんとか生還した。肩の小屋で中島氏がむかえてくれたときにはうれしかった。私が一九才の時で、若気のいたりというところか。古いノートに記録が残されているのでそれを載せさせていただく。

【谷川岳一ノ倉沢ニノ沢右俣(昭和32年9月21日)】
 土合(5:00)→一ノ沢出合(6:00〜6:30)ニノ沢出合(7:30)→稜線(13:40)→肩ノ小屋(14:00〜14:20)→土合(16:20)

 土合に着くと夜は明けうっすらとした青空が頭上にあったが、山間部は雲に被われているので天候が少々気にかかった。一ノ沢出合で朝食をとり、沢を上りはじめる。両岸ともツルツルの岩で閉口する。そこで右岸のブッシュに入り、急な斜面を石楠花をたよりによじ登る。沢すじより大分高く登ってしまったので今度は下りるのに苦労、ベルグシュルンドにも困ったがどうやら雪渓の上に立つことができた。正面の滝沢の岩壁を右に見て、雪渓から、飛んでニノ沢へ下り立つ。ツルツルの岩であるが最初は傾斜がゆるく快適に登ってゆく。大滝は左岸はダメなので右岸を慎重に登る。それを乗っ越すと三ツ俣となり、我々はガリーになっている右俣に入る。
 すぐに広いルンゼとなり高い床のAルンゼを登る。傾斜が急となり草ツキに出る。しかしまた岩場というように、草ツキと岩場の交互の登りが続く。右側上のバットレスに入らぬよう気をつけながら進むがしだいにそちらにひきこまれとうとうオーバーハングのチムニーにつき当る。ここで行きづまり身動きができなくなる。正面を避けて左手に逃げた方がよさそうである。アンザイレンし、ハーケンを打ち、「落ちるかもしれない」とトップの山田氏が動きはじめやっとのことではい上る。その上も胸がつかえるような岩場が続く。しかも浮石だらけで気がぬけない。そのうち潅木が生えているので助かる。やがて草ツキがゆるくなって国境稜線に出てほっとした。岩峰にひっかかっていた雲がようやく去って、夕日が岩稜いっぱいにさしていた。静かな西黒尾根をサッサと下り、土合駅についた。
                                    (日本山岳会静岡支部会報より転載)

                                    竹端節次(山岳部OB/1961年卒)


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(田村康一/1990年卒)